IE9ピン留め

みさわたけひこの写真日記
by misawa-world
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地震
3/11昼頃、スタッフの卒業式の写真を撮りに大須に向かった。
そのまま送りがてら名古屋高速を家に向けて走っていた。
となりでスタッフがアイフォンを見ながら「今、東北で大きな地震があったみたい」と言ってきた。
ラジオをつけてみた。
まだ、地震発生を告げる短いコメントしか流れなかった。

家に戻ると、ヨメさんとよしえちゃんが浮き足立っていた。
すごく長い地震があったんだよと。
うちは古い家で、少しの地震でもぎしぎしと音を立てる。
でもこの地震は家から音も出さずに天井から吊された電球だけを激しくゆらしたという。クルマで走行中の自分には何も感じられなかった。

テレビを付けた。
どのチャンネルも地震のニュースしかやってなかった。
そこではじめて地震の大きさを知って阪神淡路大震災のことが頭をよぎった。
それから仕事は手につかず、ひたすらテレビから情報を得ようとする。
津波警報が出ていた。やばいなと思った。

自分の故郷は岩手三陸海岸の釜石だ。
小さな頃から津波の話は何度となく聞かされた。
小さな津波も三陸の奥が狭くなる湾内に入れば急に高さを増してくること。

見ていたチャンネルはずっと気仙沼港の生の映像を流していた。
最初に見た津波の映像は遠くからで港湾施設に押し寄せるくらいにしか見えなかった。
次に映像が切り替わって釜石港のライブ映像になった。
津波が防潮堤をのりこえてしないに流れ込んで行く映像だった。
身体が震えた。
昔の実家から津波を避けれそうな高台まで歩いて十五分。
果たしてさらに遠い市街地の人は逃げれたのだろうか?
街が津波に呑まれて行く。

現在は、自分の父母も名古屋にいて、おおかたの親類もすべて釜石を離れているのだけど、生まれた町が流されて行くのを見るのはつらかった。

その後テレビは各地の津波到達の映像を伝える。
遠く離れた銚子港でもかなりの大きさの津波がくる映像を見て、千葉県の友人に逃げたほうが良いと電話した。

夜になると犠牲になった方の数字が出てきはじめた。
行方不明の方の数が数万とか信じられない数字になっていた。
こんな事が起こるなんて信じられなかった。
いったい日本はどうなっちゃったんだ!

翌日も地震の報道がつづく
ネットでもツイッターでも地震一色になる。
仕事も手につかない。
何かできることはないかと思うが、被害にあった地域が広すぎて
テレビの断片的な報道では全体がまだ見えてこない。
伝えられる報道はあまりにむごい映像ばかりだ。


二・三日してツイッターにこんな内容の書き込みがまわってきた。
「全国の写真家のみなさん。被災地の方が元気になるような写真を発信して行きましょう。今こそ写真の力が試される時です。」
一瞬は賛同した。
でも、何か違うと思った。
今はそれどころじゃない。まだ被災の真っ最中だ。
こんな時に「元気出して下さい」っていうよりも、いなくなった人を捜す方が大事だと・・・そう思った。

次の日、姉からおばちゃんがひとり安否の確認ができない事を知る。
父母はおろおろしている。
名前は何度か聞いたことがあるおばちゃん、でも顔が思い浮かばない。
自分にとってはどの人かよくわからない親戚のおばちゃんだけど、だけどそのことがずしんと重く堪えた。

何かを自分にできることはないかと思うが
現実的には、今すぐ仕事と家族をほっぽり出すわけにも行かないので
現地に行って手伝うこともできず
ただ、遠く離れた場所で堪えるしかない。

もし自分が現地にいたらカメラを向けることができただろうか?
神戸新聞の七日間の中に描かれていたことが頭をよぎる。
きっとすぐには無理だろうと想像がついた。

今、ここにいる自分ができることは・・・
すぐに手伝いに行くことはできない
救援物資を持って行くこともできない
それでは先に自分の家が行き詰まってしまう。

できることは、日々の仕事をちゃんとして
日々の生活をちゃんとして
顔も思い浮かばないおばちゃんがよろこぶように
元気に暮らして
余裕を作って
その余裕を募金などに廻して・・・今はそれしかできない。

何かをしなければ
カメラマン仲間のSNSの中で、笑顔の写真に批判が出てくる。
殺伐とした空気。
ヨシダさんがフェイスブックに書き込んでいた一言で救われる。
「なにがどうのじゃなくて、みんなが同じように傷ついている」
そうだと思った。

元気です!という投稿掲示板を作る。
今すぐには役に立たないだろうけど
そのうち何かの役に立つかもしれない。

ニュースで被災地の写真を集めて届けるボランティアを紹介していた。
写真の力
ホントに写真の力?
もしボクが津波に呑まれたとして
子供達が僕が使っていた泥だらけのカメラを見つけたら
きっとボクのことを思い出してくれることだろう。
もちろん写真ならなおさらのことだけど・・・
でもそれは写真の力ではなくて「人の思い出の力」なのではないだろうか?
写真がほかのモノと違うのは
ボクのカメラを作ってくれた人はそれが思い出の品になるとは思わない。
写真を撮るボクらはそれが思い出になると知っている。
これから自分は何を撮ればよいのか?

3週間ほどたってから撮影で東京に行く。
向かう東名高速はいつになくガラガラ
時折、遠く離れた土地のナンバーを付けた消防車の隊列を抜いて行く。
目頭が熱くなる。

夜になって着いた東京はいつになく灯りが少なく
飲食店も早々に店を閉めてしまう。
ここも被災地であることにやっと気付く。
名古屋と東京だけでもかなりの温度差があることを知る。

津波のニュースを見ていた人が
こんなところに住まなきゃ良いのにという言葉をはく。
悲しくなる。
自分の故郷だ。

一緒にカメラマン仲間のサイトを運営している友人が落ち込んでいる。
彼の心情のすべてを理解したいとおもうがうまくいかない。
被災地とそうでない地域を温度差なのか、頭では理解しているのだけど
何かが噛み合わなくしている。
さみしい。
先日のニュージーランドの地震。
海外の災害と国内の災害でこんなに受け止め方が違うのかと思っていたけど
もっとわかるためには自分が被災するしかないのだろう。

地元の友人達がチャリティー撮影を企画している。
自分はまだそんな気になれない。
普通に仕事をして稼いだお金を義援金に廻したいと思う。
そうじゃないとおばちゃんが浮かばれない。

もっと釜石の写真を撮っておけばよかった。
父ちゃんと通った銭湯も
母ちゃんが入院していた病院も
ばあちゃんとすすったラーメン屋も
みんな無くなってしまった。
もっと写真を撮っておけばよかった。












# by misawa-world | 2011-04-15 04:58
スタッフ
人を一人雇う時、
雇う側にも覚悟がいる。

きれい事に聞こえるかもしれないけど
初詣に行けば、家族とスタッフの幸せを願う。
ただの労働力だなんて思っていない。

でも、ボクを頼りにするヤツは突き放した。
自分の価値観を持ってもらいたくて突き放した。

スタッフに新しい輝かしい未来が見えた時
そしてここを離れてゆく時
一緒に喜びたい。
自分を越えていった時、
くやしがるより誇りにしたい。



# by misawa-world | 2011-02-18 19:42
神さま
写真を撮っていると
時々不思議な感覚に襲われる。

良い写真が撮れる時には、神様が
「今、押しなさい」
と、言ってる気がする

だからボクは
何も考えずに、ただ押すだけなんだ。

撮れた写真はボクが撮ったようで
実は神様が撮ってくれた写真。
ほめられるとなんか違う気がする。

写真の神様

写真を撮っていると、そういう感覚がある。






# by misawa-world | 2011-01-28 01:27
新年会
去年の新年会は、「よし、やるぞ!」とやる気をもらったけど

今年の新年会は、「くそ、やってやるぞ!」と変なやる気をもらった。
# by misawa-world | 2011-01-15 02:03
覚え書き
「主観と主張の履き違え」
写真は結局は撮影者の主観でしかないという話をしていると
首をかしげられることも多いけど
このごろ、主観と主張を履き違えているのだと言うことに気付いた話
→主観と主張の違いは何だろう?

「表面しか写らない」
写真は結局は表面しか写らない。
(多分に語弊を招く表現だけど、聞き流してね)
しかし、写真を見る時には表面以上に中を見ようとしている。
→見る側にも理解力が求められるということ。
その理解力は個人によって差がある。
それは能力と言うよりも生活している環境によって。

たとえば結婚式の写真は
結婚式を知らない人と結婚式を知っている人では見え方が違う。
それは何度も体験した来た。

ボクの写真は日本語を話していると自分でも感じてる。

ということは・・・同じ写真でも、日本人と外国人でも見え方が違う。
それでも国境を越えて良いと感じられる写真もあるわけで
人類に共通する意識というのがあるのだろうとわかる。

ここで仮説
ペンギンのペンちゃんがいるとする。
人間にもペンちゃんにも感じられる写真は可能だろうか?

音楽なら可能なような気もする。
だからきっと写真にも可能なのだろう。

その写真にはいったい何が写っているのだろうか?
写真は表面しか写らない・・・










# by misawa-world | 2011-01-06 03:54
仕事の流儀


結婚写真を撮っていて、良かったなあと感じられることは、写真を仕事ではなくて、写真を生活にできたことだろうなあ・・・

(こんな話を書くと、お客さんの喜ぶ顔が一番うれしかったとか論点をすり替わることが多いけど、ここでは写真を撮る者としての話ね)






# by misawa-world | 2010-12-04 01:16
やりたいことが、やならければいけないことを追い越してゆく


自分の写真を褒められることもあれば、
鼻で笑われる時もある。

多少むかつくけど、いちいち気にしていてもしょうがない。

売れる売れない
ウケるウケない
儲かる儲からない
そんなことどうでもいい。

写真することは思想だと思う。
自分の中に迷いがなければそれで良いのだと思う。





# by misawa-world | 2010-11-27 01:05
想い出づくり


この頃ロケーションフォトに力を入れている。

撮影までの二人とのやりとりや、当日の撮影をしながら、これは二人の想い出を作ってあげてる仕事だなあと思う。撮影の最期はボクとの記念写真で終わったりするから、ボク自身も二人の想い出になってるわけだ。
(下記事の長老のコメントに通じる部分があるのではないかと思う)

何もしなければ何も残らないけど、行動を起こせばそれが想い出になる。

・・・中略

結婚式をあげるという意味もおなじ事なのではないかと思えてきた。
(ここに長老がつっこまないことを祈りたい)




話がまとまらないから切り上げよう

# by misawa-world | 2010-11-16 17:02
心と形と価値
サイトに結婚式の歴史というコラムを書いたらコメントをもらいました。
「結婚式というのはその本質も見失いやすくて、本質を見失わせることが結婚「式」の本質かも・・・」

ホントだ、
冠婚葬祭ごとというのは、結婚式に限らず、お葬式や成人式も、こうしなければならないという形式が先行してそこに疑問を持ちつつも流されていってしまう部分があるのだろうな。
その本質を抜きにして(本質があってもなくても)形式としておこなう行事のことを「冠婚葬祭」と呼ぶことになったのだろう、と思えてきた。
ウチの町内は冠婚葬祭事のひとつの祭が盛んなのだけど、端から見たらよくわからない協力依頼や回りくどい形式も「お祭りだから」のひとことで片付いてしまい、それに疑問符を投げることもなく、心意気だけでやってしまう部分もある。でも全然嫌じゃない、楽しいから。ボクにとってお祭りの本質は楽しむことだから。


結婚式の歴史を調べていて、その形式は誰がはじめたかというと、ある日ある時ある人が思いつきに近い形でやってみたことが、他の人を賛同を受けてそのまま形式化するということを感じた。
たとえばこういう事だ。

「ある男が恋する女性に野の花を摘んで、結婚を申し込んだ。
女性はイエスの返事の代わりに、花を一輪の男の胸に飾った。」

結婚式関係者なら何度も見てきたブーケ・ブートニアの儀式なんだけど、
話だけでも胸がキュンとしてしまうけど
一番最初に花を贈った男は、どれだけ真剣に、どれだけ女性のことを思い、どれだけ緊張して花をあげたことだろう・・・それを思うと、ぼくは男として切なさにもだえ苦しんでしまう。

やがて、その話を聞いた第二の男が恋人のために同じように野の花を摘む・・・こうして形式が出来てゆくのだろう。
そしていつしか形式だけになって、そのうち本質は隅っこに追いやられてしまう。
ブーケ・ブートニアの儀式のお花の注文を花嫁さんがおこなうことに疑問を持たなくなる。

結婚式限らず、冠婚葬祭の形式って同じようにしてはじまったことだろう。
なんの意味があるのかと思える形式も、それを紐解いてゆくと、最初の根源は人を思うやさしい心だったりする。
ぼくは、形式を否定してはいけないと言いたいわけではないし、形式をすべて崩してしまえと思ってるわけでもない。
形式に価値を求めるのか、形式の先の心に価値を求めるのか、ということが言いたい。

キャンドルサービスは誰がはじめたんだろう? どんな気持ちではじめたのだろう?
誰が最初にご両親に手紙を書いたのだろう? どんな気持ちではじめたのだろう?
二次会のビンゴは誰がはじめたんだろう? どんな気持ちではじめたのだろう?
そもそも、結婚式って誰がはじめたんだろう・・・?
・・・
・・・
・・・
そう思うと自分たちの結婚式が形式が、新しい形式のはじまりでも良いのではないかと思うのでした。

話が飛躍しすぎてごめんなさい。






# by misawa-world | 2010-11-07 21:24
遠方からの撮影依頼
時々、遠方から、結婚式の撮影依頼が入ったりします。
撮影依頼はうれしいのですが、このごろはこんな返事をしています。

「遠方からの依頼は、自分の写真が評価されている気がしてとてもうれしいことです。
同時に、自分の地元での活動は、結婚式の写真からその後ずっと家族写真を撮り続けたりして
結婚式の写真屋さんを選ぶということは、その後の家族の写真屋さんを選ぶことなのではないか
そう思いながら可能な限り実践しています。
遠方だとどうしてもそのあたりが疎遠になってしまうことを非常に残念に感じています。

仕事としては是非とも撮ってみたい、○○にも行ってみたいのですが、
お二人の結婚式、その後の家族の暮らし、
それを長い目でみていただけるカメラマンがお二人の住む町にいらっしゃればと思います。
そのあたりも含めて、一度ご検討くださいな。」

今まで三人の方にお返事をして、みごと三人とも地元で捜してみたいということになりました。
仕事にはならなかったけど、自分の首を絞めて何が変わるかわからないけど、
まず自分の中の矛盾をひとつ追い出してみようと思いました。

# by misawa-world | 2010-11-05 00:57
自光式レフへの模索
秋は日が暮れるのが早いから、午後の家族写真などは明るさとの戦いになります。
リモコンストロボも良いのですが、独特の違和感を感じてしまって、出来るだけさりげなく光を当てたくて柔らかくしようとすると、パラソルやディフューザーが必要になり大がかりになってしまって機動性を失います。
薄い板状の物が発光してくれればよいので、ELパネルなども検討したのですが、価格と明るさとバッテリーなどの問題があってなかなか難しい・・・

で、結局できあがった物は普段使っているレフ板とクリップオンストロボを利用した簡易バウンサー的なモノになってしまいました。
とりあえず加わる機材の量も少なく女の子一人で操作できるのでそれなりに使えるのではないかと期待しております。

作例1
発光無し 1/30 f4.5 iso1600


作例2
発光有り 1/30 f4.5 iso1600


レフの真ん中の丸い穴から、ストロボを出しています。
写真では不安定に差し込んでいますが、留め具も作りました。
ストロボの先には光が斜め後ろに反射するようなアダプターをつけてあり、直射はしません。
もう少し発光面が広い方が良いのですが・・・課題です。



# by misawa-world | 2010-10-31 22:55
ウエディングフォトを撤退します・・・
・・・という連絡をもらった。
もっと写真家として活躍の出来る分野に力を入れることらしい。

彼とってウエディングフォトはただの踏み台だったのか?
いや、問題はそういう事じゃない、
彼に撤退するに値するものに感じさせてしまった事が問題なんだ。
そして
結婚式業界のあり方を見ていると、撤退したくなる気持ちは良くわかる。
ウエディングフォトの業界も似たり寄ったりだ。
特にウエディングフォトの人は井の中の蛙だということに気付いている人は少ない。

かくゆう自分も結婚式業界からは10年以上前に撤退している気分。
結婚式業界内にほとんど友人はいない。
ただ、人の写真を撮りたいだけだったから。





# by misawa-world | 2010-10-22 20:31
結婚式の写真の撮り方 草稿
結婚式の写真の撮り方を書こうと思います。
最初に思い浮かんだのは、教科書のように体系的な話をしてみたいと考えました。
でも、すぐそれは違うと感じました。

ここで述べる結婚式の写真の撮り方は、こういう写真を撮りなさい という具体的な手本ではないです。
こういう風に考えてみてはどうかという提案です。
職業カメラマンの方よりも、列席される方に向けて書いてゆくつもりです。
でも職業カメラマンの方にもヒントになるかも。

勢いだけで書くので、相変わらずの乱筆乱文お許し下さい。
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結婚式の写真は何を撮っているのでしょうか?

仕事として考えれば、結婚写真で撮らなければいけない場面はあきらかに存在します。わかりやすくいうと、アルバムを作りやすい撮り方というのが存在します。
それはマンガや映画の作り方ととても似ています。
大筋となる話の流れ、それを説明する部分と、流れから多少離れても話を広げる印象的なエピソード。被写体に寄れば感情が浮き出る、ひけば状況が伝わる・・・それを織り交ぜてアルバムを作ってゆきます。

最初、教科書的な体系を考えた時に、こんな話を進めようと思っていました。
そう思って考えていたのですが、書きはじめて・・・違う違う!!写真ってそんなことじゃない!とボクの本能が叫んでました。

「感じたように撮る」

これがすべての写真の基本だと思います。

もしあなたがお友達とか家族の結婚式に出ることになって、写真を撮ることになったら、まず、どんな写真を撮りたいと思いますか?
多くの人はキレイに上手に撮ろうと考えるのですが、それが間違いのはじまりのような気がします。
そんなことは、会場のプロカメラマンにまかせておけばよいのです。
もしあたなが、会場のプロ顔負けのキレイで上手な写真を撮れたとして、それを渡した時の新郎新婦はどんな感情を抱くでしょう?
すごい!!  上手!!  でもどこかよそゆき顔で仕事しているような撮影者の気持ちを感じてしまうかもしれません。ボクは今まで、たくさんの人にアルバムを渡してきて、そんな褒め言葉は少しもうれしくありませんでした。

やはり写真は気持ちを伝える道具だと思うのです。
あなたがその時その場で何を感じたか、それを伝える道具だと思うのです。


ボクが新郎だったら、写真をもらって自分はおろか花嫁さんも一枚も写ってなくても、ずっとテーブルの馬鹿騒ぎしている仲間を写してある写真を見たら、「楽しんでくれたんだな」と喜ぶでしょう。
写真ってそういうことだと思うんです。
見た人は、写真じゃなくて、撮影したあなたの気持ちを見てる。

たとえば・・・
新幹線で東京に向かっていて、空は快晴で雪をかぶった富士山を見たら・・・車内の多くの人は携帯電話片手に写真を撮ろうと動き出します。実際ホントにそうなります。
その写真を撮ってどうするのだろう? 撮った写真はどうするのかしら?家に飾るつもり?
出来上がりが問題じゃないのです、撮るという行為そのものが自分が今の感動しているという気持ちを写しているのです。
旅先の友人から富士山の写メが送られてきて写真のデキの評価をするのは野暮でしょ。送られてきたのは写真じゃなくて、その人があなたに気持ちを送っているのです。

そう考えてゆくと、写真のうまさはあまり関係ないと思えるのです。
問題になるのは、あなたがどれだけ嘘偽りなく素直な心で写真を撮ったか・・・それだけだと思うのです。

はじめてホテルで行われる結婚式を見た人は、スポットライトや派手な演出に感動するかもしれません。
自分は今では慣れすぎて、演出で感動することは少なくなってしまいました。まるで作られた舞台を見ているようで。
人の気持ちに感動します。人が人を思う気持ちに胸が熱くなります。

披露宴会場で、あなたが自分の席札を見つけてテーブルについた。置いてある席札の裏側に何やら文字が見える・・・手に取ってみると花嫁さんからの今日来てくれたこと、これまでの事への感謝の言葉・・・うれしくなって、思わず写メを撮ってしまう。それで良いのです。その写真があなたのうれしい気持ちを伝えてくれます。

この方法で結婚式の写真を撮り続けると、すべての写真はすべてあなたの身の回りでおこったことだけしか残らないでしょう。でも、それで良いのです。
カメラを持ってしまうとついつい「公」の目で撮らないとならないと感じてしまうことも多いですが、長年写真を撮ってきてそんなこと無理だと感じました。どこまでいっても撮影者は「私」でしかありません。
だから、あくまであなたの「私的」な目線でよいのです。
それがあなたの気持ちを写してくれます。

その気持ちを、きっと二人は喜んでくれます。
その気持ちに二人は感動するのです。


<カメラマンはいつも恋してる>

追記
職業で写真を撮っていると、自分の中にいくつも写真の絵作りの引き出しが出来ていって、正直、感動しなくてもそこそこの写真は出来てしまいます。
それは、キレイな写真です。絵に描いたように。
コンペサイトをやっていて、キレイだけど何か足りないと感じる写真の多くはそういうことなのでしょう。
気持ちが見えてこない。
そして気持ちが見える写真にどうしても票を入れたくなります。

# by misawa-world | 2010-10-22 03:09
寄らば・・・
寄らば大樹の陰

鶏頭牛尾

まったく正反対のことを言ってるように思えるこの言葉。

その人の目標のある場所によって変わってくるのだろうな。
# by misawa-world | 2010-08-22 14:16
ジャパンウエディングフォトグランプリ

<本文と写真はまったく関係ありません。>


ジャパンウェディングフォトグランプリ
おそらく国内でもっとも大きな結婚写真のコンテストだと
業界内の人が認識しているコンテストです。

先日、今年の発表がありました。
だけど、不思議なんだよね。
グランプリをとった写真も、それ以外の写真も、ぜんぜん露出が少ないのよね。
せいぜい受賞した方のサイトで紹介されているくらい。

よい写真を集めているんだから、もっともっと大々的に発表すればいいのに
自分だってどんな写真が入ってるのか見てみたい。
新聞や雑誌に掲載したり
主催者のサイトで紹介したり
でもなぜかまったく出てこない・・・多くの人に見せて魅せてなんぼでしょ

もったいないなあ・・・なんでだろう?

# by misawa-world | 2010-08-12 15:45
あまのじゃく

<ミラーに手を振ったら、すでに去ってゆくとところだった。ちょっとさみしい>

2006年の時点で、ウエディングフォトグラファーとネットで検索すると、該当するページが見つかりませんと出ていた。
そう、そんな言葉はなかった、ブライダルカメラマンと名乗っている人が多かった。
今では、1万件のヒットがある。
・・・
(肝心なところだけど途中略)
・・・
業界のその流れに、同じ仕事をしていてちょっとウンザリしている。
もうウエディングフォトグラファーなんて名乗りたくないなあ。
だって・・・(肝心なところだけどここも略)

考えると基本的に自分があまのじゃくなわけだ。
人のせいにしてはいけないけど、親父譲りだなと思う。
・・・
(めんどくさくなって略)
・・・
自分が遊べる広場は自分で作ることが一番だ。






追伸
このブログにリンクされている方へ
申し訳ないですが、リンクをはずしていただけますか?
何も気にせず、自由に発言したいのです。

# by misawa-world | 2010-08-12 13:53
なんとなくクリスタル

<まだネットなかった時代の撮り貯めた写真が未発表のまま残っている。やっと日の目を見る。>

写真のイベントに参加した。
自分の作風がまったくこのイベントの趣旨と合っていないことも理解した上で
あえて自分で刺激を求めて参加した。
今回で二回目。

参加すると何より自分の写真を見つめ直す。
それが何よりの意義だと思っている。
でも今回は迷いを生じて自分でも不本意な結果に終わってしまった。
こんな時もあるさ。

自分もフォトコンテストのサイトを主催している。
こうして他のイベントに参加すると、主催者の気持ちも参加者の気持ちもなんとなく感じることができる。
主催していて思うのが、どうしても先生的な上から目線になりがちになってしまうけど、それは己の了見が狭いだけの話なのだろう。
参加する側もどうしても主催者の反応なり評価を気にしてしまう。
でも、それも参加の意義が間違っているのだろうなあ。

とりあえず、次回9/12日も参加してみる。

情報過多の時代だから、写真ももっとすごいことができる!、なんて僕は思っていない。
それは自分が無知なだけなのだろう。
時代が変わっても本質はひとつだと思っている。





# by misawa-world | 2010-07-12 13:37
Contax Carl Zeiss Planar T* 85/1.2   60周年記念モデル

<Canon EF24-70/2.8 f4>



いつも使っている Planar T* 85/1.4のマウントを曲げてしまい現在修理中。
なので
カメラ棚の奥からお宝を引っぱりだしてきた。

Contax Carl Zeiss Planar T* 85/1.2   60周年記念モデル

マウントアダプターでEOS5Dに付けているので組み合わせによってはレンズが引っかかってしまう。
マウントアダプターの説明書にはこの組み合わせは使用不可と書いてあるし・・・
でも、使わないのももったいないので
とりあえず、後玉にセロテープ貼って万が一の時の保護をして実験、
う〜ん、なんか使えるみたい・・・。
情報によると同じ5Dでもカメラ側の個体差で使えるカメラと使えないカメラがあるらしい。

このレンズ、今から十年くらい前に購入した。
三十代の終わり頃、写真事務所の経営者でいるか、イチ撮影者でいるか、人生の岐路があって
ぼくは撮影者でいることを選んだ。
両方こなせるほど器用じゃなかった。

自分が撮ってきた写真の善し悪しを見る時に
ウケるかウケないか、そんな判断基準になってきた。
撮りたい写真を撮るのじゃなくて、ウケる写真を撮るようになってきた。
自分の心の叫びの写真じゃなくて、商品としての写真になってきた。
誰かの写真を見ても、商品として判断する自分がイヤだった。

だから、イチ撮影者

経済的には楽ではない時期だったけど、それまで頑張ってきた自分へのご褒美としてこのレンズを購入した。
イチ撮影者を選んだ自分を褒めてやりたくて、このレンズを無理して購入した。

それからデジタルに替わるまで自分のメインレンズだった。
このレンズでどれだけ写真を撮っただろう。

久しぶりにこのレンズを手にして、あの頃の気持ちがよみがえる。


・・・


で、肝心の写り具合なんだけど
85/1.4とは別物で、キャノン的な切れ味の良い感じ。。
購入時、友人のEF85/1.2といろいろ写し較べてみたけど
結像から発色まで、どっちがどっちかわからなくくらい似ているレンズだった・・・しいて言えばコンタの方がよりキレる感じ。
ついでにコンタとキャノンのレンズ構成図を拡大コピーを駆使して重ねてみたらドンピシャリ重なり合って
キャノンはこれをコピーしたんだろうなと思った。

高性能になればなるほど、写真のアラも目立ってしまうので
このごろは85/1.4の曖昧さの方がおもしろくて・・・






# by misawa-world | 2010-02-06 14:23
自分の未来のために
いい歳になってきたので
残された時間は限られていると感じるようになった。

その時間でいったい何ができるだろう?

限られた時間だから
じっくり、ゆっくり、あせらずに
たしかなことを育ててみたいなあ。


2009/11/11 吉日


<みどりちゃんが、古い記事の切り抜きを持ってきてくれた。懐かしいなあ・・・語っている事は今も昔も変わらない。クリックすると拡大>
# by misawa-world | 2009-11-11 09:38
自動サブカメラマン

http://www.sony.jp/cyber-shot/products/IPT-DS1/feature_1.html

とりあえず、高砂のテーブルにコイツを置いておけば役に立つかもしれない・・・
そのうちきっと利用する人が出てくるはずだ・・・
僕も試しに使ってみたいし・・・







# by misawa-world | 2009-11-02 14:19
わたしは貝になりたい・・・


できれば、アコヤガイ。
じっとして、真珠を育てるんだ。
















# by misawa-world | 2009-10-30 01:36
日本のウエディングフォトジャーナリズム
ずっと、いろいろ自分の考えをこのブログに書いてきたけど
その考えに乗っ取って、
ウエディングフォトのコンペサイトをつくってみた。

日本のウエディングフォトジャーナリズム

コンペが好きなわけじゃなくて、
「同じ方向を志す者達の囲いのない集まり」
それができないだろうかという試み。

# by misawa-world | 2009-10-22 10:34
カメラマンと視力

<策士、策におぼれる的写真>

自分の視力の衰えを感じたのが、三〇代半ば・・・
それから、年々ファインダーが見づらくなって、ついにはカメラを手動ピントからオートフォーカスに替えてしまった。
視力の衰えといっても、視力検査すれば普通に見える。
ただ
ファインダーを覗いた瞬間のピント合わせが鈍くなってくる。
近くのものが見えづらくなってくる。
手動で合わせる時の最後の最後のピントの山がつかみにくくなってくる。

とりあえず、眼鏡を替えようと眼鏡屋に行った。
そこで聞いた話では
老化の初期に、乱視の方向が変わってしまうことがあるらしい、
ある程度変わってからは安定するという。
どうやら、この乱視の方向変化がピントの山をつかみにくくしている原因だったようだ。
二年間で二回、眼鏡のレンズを替えた。
それでも乱視の変化に追いつかなかった。
今年の正月にレンズを替えて、それ以来やっと安定している。
それまでに老化前のレンズと較べると、乱視の方向が90°近く変化していた。
見えにくいわけだ。

今はとても快適。




書くことがめんどくなったので、さっさと話をまとめよう。

カメラマンは目が命
# by misawa-world | 2009-10-20 00:32
ジャンル

< Contax Carl Zeiss Planar T* 85/1.4 開放 + Canon EOS 5D >
別冊宝島1992年刊「写真の新しい読み方」より。

この本によると全世界の写真はおよそ500のジャンルに分かれるらしい。
世の中の写真というのは、この500のバリエーションを基本として、その模倣の繰り返しに過ぎないというお話しだ。
その中のひとつのジャンルに「火事場の記念写真」というのがあった。
頭をかしげるほど斬新なジャンルだ、それもかなり古い写真。
ジャンルで言うとミスマッチというジャンルになるらしい。

自分では斬新なことをやっているつもりでも
知らず知らず過去の繰り返しをしているだけかもしれない。
斬新だと思っていたのは自分が無知なだけかもしれない。
先日WPPIの作品集を見ていてそう感じた。



# by misawa-world | 2009-10-17 02:39
ウエディングフォトグラファーのつぶしどころ
この話は自分の話ではないけど、
ウエディングフォグラファーって、こんな感じ?
こういうウエディングフォトグラファーに良く出会う。

学校を出てから、世の中に流れに沿って普通に就職。
でも、なんとなくしっくりこない。
もっと創造的な仕事をしてみたいなと。
芸術、建築、デザイン、写真・・・どれをやろうか。
すぐにはじめれそうなのは・・・
で、写真の門を叩く。
入ったところが結婚写真をやっていて
いきなりその現場へ。
数年やってみて、仕事のことも業界のことも何となく分かってきて
自分のやりたい方向も見えて
会社とのずれも感じて、
じゃ、一人でやってみようと独立。
まずはホームページ作って集客。
新しい会場とかに営業に行って
何とか提携先もできて、ある程度の安定収入を確保。
ホームページからの集客は思ったより見込めなくて
提携先の方に力を入れて
そのうちさらに提携先を増えて、
スタッフ入れて経営者に
仕事も回っているし、若手も育ってゆくし
何となく青年実業家の気分。
で、ふと思う。これが目標だったっけ。
でもお金は困らないだけあるからいいか・・・

う〜ん、なんかつまらんなあ・・・
自分も状況こそもっとひどかったけど似たり寄ったりだなあ。


こう成りたい!!
そういう先例が自分たちの時代にはなかった。
自分たちでこの業種を作ってゆくしかなかった。
それが精一杯で次の世代の目標になるようなものを作れなかった。
だから、次の世代も「こう成りたい!!」という目標を持ちにくい。
逆にこう成ったらダメだ見たいな反面教師になっている(笑)

夢が見れないから、その先の目的を見失う。



・・・(あたまの中で考えを巡らせている最中)
・・・
・・・


やっぱり、発表し続けないとダメなんだ。




# by misawa-world | 2009-09-27 11:31
日本のウエディングフォトジャーナリズム
ずっと結婚式の写真を撮ってきました。
で、それに向かって試行錯誤しながらやってきた。

やっとたどり着いたかなあと思ったら・・・

そこが目的地じゃないことに気付かされてしまう。
もっと先がある。

その先こそが本当の目的地で・・・

と、思って向かってきたつもりだった。
だけど、またその先があることに気付いてしまう・・・

すべての写真は報道写真かも知れない。
日本のウエディングフォトジャーナリズム。

すると、次のそのまた先がおぼろげに見えてくる。
汝、何故写真を撮るのか?

スタートは確かに結婚写真だったけど、
これを結婚写真の範疇に納める方が難しい。
きっとその先もずっとそのまた先が続くのだろう・・・
求めるということは、そういうことなのだろう。
写真も人生も。





こんな事をブログに書いている理由は、
自分と同じような人を捜しているからなんだろうなあ。

おもしろいことに
結婚写真を最終目標にしている人と話していても、なかなか話が噛み合わない。
まったく別の分野の人でも、目指している先が同じ方向を向いていると感じると、話が弾む。

自分と同じような人を捜してはいるのだけど、
こういう事柄って、集団ではなくて、表現者いち個人が、
それぞれのアプローチで取り組んでいくモノなのだろう。
人に教えたり、誰かに勧めたるする類のものじゃないんだ。

横を見回した時に同じようにやってる人に共感を覚える。
それだけでいい。
いろんなアプローチがあって、どれも正解、みんな正しい。








# by misawa-world | 2009-09-20 12:16
結婚式の写真に思う、ひとりごと
8/30衆院選の開放速報見ながらぼんやり考えていた。

さすがに幸○実○党は票が入らないなあ・・・まあ、当然だろう。

候補者一人一人の話は、とても良いことを言っているとわかる・・・だけど票を入れる気にはならない。
なぜかは、みんなが感じるとおりだ・・・だってうしろに宗教団体がいるからだろうなあ。

ずっと結婚式の写真を撮ってきて、
この二年ほど同業者の団体を通して結婚式の写真の良さを伝える活動をしてきたけど、
開放速報を見ていて、その動きがまるでこの幸○実○党のような気がしてきた。


ぼくらが結婚式の写真の良さを伝えようとやっていることは
たとえば、
結婚党という政党から出馬して、
「どうです、結婚式の写真って良いでしょう?」という事をやっているんだけど、
日本人が一般的に持つ冠婚葬祭のイメージや、業界が作ってきたイメージが絡んで、
どこまで行っても結婚式の写真が表現作品だとわかってもらえない・・・商売だとはすぐわかってくれるけど。

でもさ、今までに何度も言ってきたけど、ボクは仕事で撮っていても
あまり結婚式を撮ってるつもりはないのよね。
少女趣味と幸せの大安売り・・・そんなことを撮りたいわけじゃないんだ。
人間を撮っていると思っている、感情を撮ってると思っている、生きてる時間を撮っていると思ってきたし
ずっとそれを目指していた。

それを写真のカテゴリに分類するとしたら、一番近い言葉は「私的報道写真」


ずっとぼくは私的報道写真を撮ってきた。
その中に結婚式の写真もある。
そのあり方が自分の気持ちに一番正直なところだ。

結婚式の写真と、その仕事を、一般に人に広く伝えようと持ったら
いつまでも結婚党の中から叫んでいても
どんなに良い写真を撮っても
誰も振り向いてくれないだろうなあ。

だから一度「結婚式」という枠から出てしまおうよ。

どうよ?


<この記事は削除する可能性もあり>







# by misawa-world | 2009-09-01 05:53
何をどう撮るか その3
今回は自分でも、頭の中にうすらぼんやりとしか浮かんでないモノを、考えながらひもといてゆこうとしています。なので、よかったら一緒に考えて下さい。
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焼き物を話をしてきたけど、話を写真に戻そう。

「卵の写真を自由に撮って下さい。」
あなたならどう撮りますか?

さわやかな卵に見せようかな、いやいやかわいい卵に見せようかな。渋いのも良いかも。
寄ったり引いたり、ライティングもあれこれ、アングルもあっちこっち
割ったりつぶしたり色を塗ったり・・・

撮り方なんて数え切れないくらいあるだろうね。


「写真の切り口」
写真の切り口とは、撮影者がずはり「何をどう撮りたいか」ということ。
どう撮るか?ということと、どういう切り口で写真を撮るのか、ということは、ボクの中では多少意味が異なる。
<どう撮る>は、レンズや撮影距離やライティングとかの技術的な部分
<切り口>は、どういう視線でモノを見ているかということだと思っています。

単純な形の卵でも、いろいろな写真の切り口があります。

ありふれた切り口もあれば、大胆な切り口もあるだろうな。
誰もまだ、挑戦していない切り口を見つけると、少しひらめいた気分にもなれる。

さらに、まだ誰も思いついたことのない切り口へ・・・ありとあらゆる試みがされて
それを繰り返してゆくと、やがて・・・

こんな感じに、なっちゃうだろうなあ・・・

その時いったい何をすれば良いんだろう?
写真の切り口という話でしたけど、個人のマンネリという話しに置き換えることもできるだろう。
たぶん、あなたはどうしたいの?ということなんだろうな。







話を変えて・・・
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「ウチの三男坊の写真を自由に撮ってください。」
どう撮りますか?

彼をモノとして考えれば、いろんな撮り方や切り口もあるんだろうけど、
ボクの場合、当たり前だけど、彼を人間それも息子として見てしまうから、ボクにとって切り口はホントひとつしか見つからない。
そして、
たとえ篠山紀信さんや荒木経惟さんと、彼を撮影してどっちがイイ写真が撮れるかと競い合ったとしても
負ける気がしない。


無数にあるように思える、写真の切り口だけど
実は本当は、真実が一本あるだけかも知れない。


卵を撮ってくださいと言われて
卵を見て思う。
「きっと、卵は卵でありたいのだろう」と。
その時点で切り口はひとつしか見つからない。



<つづく>

相変わらず、文章力がないので
理解に苦しんだら、適当につっこんでください。























# by misawa-world | 2009-07-06 23:50 | 何をどう撮るか
何をどう撮るか その2
また焼き物の話をしてみようと思います。
たとえば湯飲み茶碗。


磁器みたいにガラス成分の多い土を使って
形は美しさを感じそうな滑らかなフォルム
高台は小さくしてちょっとお洒落
厚味は限界まで薄くして・・・

こんなのにお茶入れたら、熱くて持てないだろうなあ
小さい高台はすぐ転ぶし・・・



ザクザクの土を使って
形はロクロの指あと残した無骨な感じ
どっしりした高台
厚味はたっぷり・・・

こんなのにお茶入れたら
重くてお茶の量も感じられない
口当たりも悪くて・・・

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そんな長所も欠点も実は案外どうでもいいことかも知れない・・・
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焼き物の世界には「用即美」という考え方があります。

用をなすもの即ち、美しい




じゃ、
「用」ってなんだろう・・・?
「美」ってなんだろう・・・?


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たぶん、欠点をなくすことが美につながる訳じゃないんだろうな。
きっちりマーケティング調査して、だれからもクレームがつかないモノを作っても
ただそれだけのことなんだろうな。
「用」はたぶんひとつなんだ。
「美」はいっぱいある。
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写真の「用即美」ってなんだろうね?
写真だと考えにくいかも知れない
映画の「用即美」ってなんだろう?

<つづく>
# by misawa-world | 2009-07-06 01:26 | 何をどう撮るか
何をどう撮るか その1
どこまで続くかわからないけど、新シリーズのスタートです。
前回の「結婚写真をはじめる人へ」から、もう一歩前進させた話なのですが、前回とかぶるところもいっぱい出てきますので、おヒマな方は前回を一度目を通してくださいな。
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何をどう撮るか 序章

ずっと焼き物産地・常滑に関わってきました。
そのおかげで、焼き物の職人さんや作家さんを大勢知っています。

職人さんの仕事はマメです。
同じモノを寸分違わずいくつでも作り続けます。
仕事を見ていると焼き物というのは化学反応なのだと気付きます。
ロクロの回転軸のブレから、窯や釉薬の経験とデータの蓄積。
すべての偶然を自分のコントロールの中に納めていきます。

作家さんの仕事は大胆です。
土は本当はこういう形になりたかったのだと感じられます。
仕事を見ていると、土を形作るというよりも、土からその形を取ってくる!、そんな印象です。
偶然が、あたかも必然のように思えてきます。

(ここで話している職人さんや作家さんは、それなりのレベルの方の話をしています)

職人さんは言います。
「私のうつわは、使う人に本当に喜んで使ってもらえる。そういううつわを作りたいんだ。」

作家さんは言います。
「私の作品は、使う人に本当に満足してもらえる。それがうれしいんだ。」

作る作品はまったく似てもにつかない。
言葉は微妙見違うんだけど、
職人さんも作家さんも、最終的には同じことを言ってることと気付きます。

二人とも同じ山に登ろうとしている。

この二人の作品の優劣を決めることなどナンセンスです。
目指すところは同じ、ただ二人は登る道が違うだけの話なんだよね。



このことは写真でも同じだと思うの。
たぶん表現する世界では共通のこと。

そして登る山は、考えデブをダイエットできた人や、最初から自分を持っている人は、案外同じ山を目指しているんだよね。



<つづく>







# by misawa-world | 2009-06-29 01:14 | 何をどう撮るか
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