みさわたけひこの写真日記
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地震
3/11昼頃、スタッフの卒業式の写真を撮りに大須に向かった。
そのまま送りがてら名古屋高速を家に向けて走っていた。
となりでスタッフがアイフォンを見ながら「今、東北で大きな地震があったみたい」と言ってきた。
ラジオをつけてみた。
まだ、地震発生を告げる短いコメントしか流れなかった。

家に戻ると、ヨメさんとよしえちゃんが浮き足立っていた。
すごく長い地震があったんだよと。
うちは古い家で、少しの地震でもぎしぎしと音を立てる。
でもこの地震は家から音も出さずに天井から吊された電球だけを激しくゆらしたという。クルマで走行中の自分には何も感じられなかった。

テレビを付けた。
どのチャンネルも地震のニュースしかやってなかった。
そこではじめて地震の大きさを知って阪神淡路大震災のことが頭をよぎった。
それから仕事は手につかず、ひたすらテレビから情報を得ようとする。
津波警報が出ていた。やばいなと思った。

自分の故郷は岩手三陸海岸の釜石だ。
小さな頃から津波の話は何度となく聞かされた。
小さな津波も三陸の奥が狭くなる湾内に入れば急に高さを増してくること。

見ていたチャンネルはずっと気仙沼港の生の映像を流していた。
最初に見た津波の映像は遠くからで港湾施設に押し寄せるくらいにしか見えなかった。
次に映像が切り替わって釜石港のライブ映像になった。
津波が防潮堤をのりこえてしないに流れ込んで行く映像だった。
身体が震えた。
昔の実家から津波を避けれそうな高台まで歩いて十五分。
果たしてさらに遠い市街地の人は逃げれたのだろうか?
街が津波に呑まれて行く。

現在は、自分の父母も名古屋にいて、おおかたの親類もすべて釜石を離れているのだけど、生まれた町が流されて行くのを見るのはつらかった。

その後テレビは各地の津波到達の映像を伝える。
遠く離れた銚子港でもかなりの大きさの津波がくる映像を見て、千葉県の友人に逃げたほうが良いと電話した。

夜になると犠牲になった方の数字が出てきはじめた。
行方不明の方の数が数万とか信じられない数字になっていた。
こんな事が起こるなんて信じられなかった。
いったい日本はどうなっちゃったんだ!

翌日も地震の報道がつづく
ネットでもツイッターでも地震一色になる。
仕事も手につかない。
何かできることはないかと思うが、被害にあった地域が広すぎて
テレビの断片的な報道では全体がまだ見えてこない。
伝えられる報道はあまりにむごい映像ばかりだ。


二・三日してツイッターにこんな内容の書き込みがまわってきた。
「全国の写真家のみなさん。被災地の方が元気になるような写真を発信して行きましょう。今こそ写真の力が試される時です。」
一瞬は賛同した。
でも、何か違うと思った。
今はそれどころじゃない。まだ被災の真っ最中だ。
こんな時に「元気出して下さい」っていうよりも、いなくなった人を捜す方が大事だと・・・そう思った。

次の日、姉からおばちゃんがひとり安否の確認ができない事を知る。
父母はおろおろしている。
名前は何度か聞いたことがあるおばちゃん、でも顔が思い浮かばない。
自分にとってはどの人かよくわからない親戚のおばちゃんだけど、だけどそのことがずしんと重く堪えた。

何かを自分にできることはないかと思うが
現実的には、今すぐ仕事と家族をほっぽり出すわけにも行かないので
現地に行って手伝うこともできず
ただ、遠く離れた場所で堪えるしかない。

もし自分が現地にいたらカメラを向けることができただろうか?
神戸新聞の七日間の中に描かれていたことが頭をよぎる。
きっとすぐには無理だろうと想像がついた。

今、ここにいる自分ができることは・・・
すぐに手伝いに行くことはできない
救援物資を持って行くこともできない
それでは先に自分の家が行き詰まってしまう。

できることは、日々の仕事をちゃんとして
日々の生活をちゃんとして
顔も思い浮かばないおばちゃんがよろこぶように
元気に暮らして
余裕を作って
その余裕を募金などに廻して・・・今はそれしかできない。

何かをしなければ
カメラマン仲間のSNSの中で、笑顔の写真に批判が出てくる。
殺伐とした空気。
ヨシダさんがフェイスブックに書き込んでいた一言で救われる。
「なにがどうのじゃなくて、みんなが同じように傷ついている」
そうだと思った。

元気です!という投稿掲示板を作る。
今すぐには役に立たないだろうけど
そのうち何かの役に立つかもしれない。

ニュースで被災地の写真を集めて届けるボランティアを紹介していた。
写真の力
ホントに写真の力?
もしボクが津波に呑まれたとして
子供達が僕が使っていた泥だらけのカメラを見つけたら
きっとボクのことを思い出してくれることだろう。
もちろん写真ならなおさらのことだけど・・・
でもそれは写真の力ではなくて「人の思い出の力」なのではないだろうか?
写真がほかのモノと違うのは
ボクのカメラを作ってくれた人はそれが思い出の品になるとは思わない。
写真を撮るボクらはそれが思い出になると知っている。
これから自分は何を撮ればよいのか?

3週間ほどたってから撮影で東京に行く。
向かう東名高速はいつになくガラガラ
時折、遠く離れた土地のナンバーを付けた消防車の隊列を抜いて行く。
目頭が熱くなる。

夜になって着いた東京はいつになく灯りが少なく
飲食店も早々に店を閉めてしまう。
ここも被災地であることにやっと気付く。
名古屋と東京だけでもかなりの温度差があることを知る。

津波のニュースを見ていた人が
こんなところに住まなきゃ良いのにという言葉をはく。
悲しくなる。
自分の故郷だ。

一緒にカメラマン仲間のサイトを運営している友人が落ち込んでいる。
彼の心情のすべてを理解したいとおもうがうまくいかない。
被災地とそうでない地域を温度差なのか、頭では理解しているのだけど
何かが噛み合わなくしている。
さみしい。
先日のニュージーランドの地震。
海外の災害と国内の災害でこんなに受け止め方が違うのかと思っていたけど
もっとわかるためには自分が被災するしかないのだろう。

地元の友人達がチャリティー撮影を企画している。
自分はまだそんな気になれない。
普通に仕事をして稼いだお金を義援金に廻したいと思う。
そうじゃないとおばちゃんが浮かばれない。

もっと釜石の写真を撮っておけばよかった。
父ちゃんと通った銭湯も
母ちゃんが入院していた病院も
ばあちゃんとすすったラーメン屋も
みんな無くなってしまった。
もっと写真を撮っておけばよかった。
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by misawa-world | 2011-04-15 04:58
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